カメラマンの日常。
カメラのこととか青山のこと阿佐ヶ谷のこと、
たまに島の話。
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妙法寺


正月3日は杉並区堀ノ内の妙法寺へ行ってきた

このお寺は結構歴史あるモノらしくいつ行ってもはなやかだ。正月も3日だというのに猿回しがいたり太鼓の芸も見れたりと結構にぎやかだった。もちろん屋台も結構出ていていい感じだ。

ここの屋台は殺伐としたところが無くていい。射的なんかでも小さな子供が楽しめるように題の上にに座らせてやらせてもらっていた。もちろん絶対倒れないようにしてある客寄せの高価なゲーム機なんかは射的の的に置いていない。
長年続く3の市(暦で3の付く日に市が立つ)のせいもあるのだろうが、地元密着型?の屋台は好感が持てる。

参詣のひとも結構いてまあ人いきれする感じではあるが嫌な感じではない。

お屠蘇会場の看板があったのでそちらへ回ってみたが残念、終わっていた。裏手へ来たついでにさらに奥へ行ってみると観音様を洗っている人がいた。濡れた観音様がなんとも妖艶な感じで思わずシャッターを切った。



【妙法寺】(WIKIより)
元々は真言宗の尼寺であったが、1615年 - 1624年(元和年間)日逕上人は、母・日圓法尼の菩提のため日蓮宗に改宗した。山号は日圓法尼に因み日圓山とし寺号を妙法寺とした。初めは碑文谷法華寺の末寺となったが、1698年(元禄11年)碑文谷法華寺は不受不施派の寺院として江戸幕府の弾圧を受け、改宗を余儀なされ、身延久遠寺の末寺となった。このころ碑文谷法華寺にあった祖師像を譲り受ける。日蓮の祖師像が厄除けに利益(りやく)があるということで、江戸時代より多くの人々から信仰を集めている。現在でも、厄除けなどの利益を求め、多くの人が参拝に訪れている。古典落語「堀の内」の題材にもなるなど、街の顔にもなっている。1926年(大正15年)妙法寺貫首により、東京立正短期大学・東京立正中学校・高等学校を設立している。

元々は中本山であったが昭和27年に本山(由緒寺院)に昇格している。

現住は36世嶋田日新貫首(杉並区宗延寺より晋山)。通師堀之内法縁縁頭寺。


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品川と新宿、宿場町の明暗


とある用事で品川へ来た。

最後に品川駅をおりたのはかれこれ25年くらい前だったろうか?そのころの品川はもちろん新幹線の始発駅も無くて特に今アトレのある東口あたりは本当に何にも無く、東京に来てまだ日の浅い自分はここも東京なのかと感慨深かった記憶がある。

そのころはまだ学生で通学の都合でよく新宿を利用していた。まだフォークゲリラの香りが残る新宿で高層ビルは京王ホテルしかなかったがもともと宿場町だっただけあって裏道へ入ると歴史の香りがする道があったりしたものだ。

振り返って品川。同じ宿場町、それも東海道最初の重要宿である品川がなぜこんなに空虚なのか気になってはいたのであるが調べないまま25年が過ぎていた。昔は調べようと思っても本に頼るしか無くちょっと疑問があっても面倒くさくてそうやってそのままにしたが、今はインターネッツというモノがあるので早速調べてみた。

真相は単純だった。
今の品川駅と江戸時代の品川宿は場所が離れているというだけの事だった。いわゆる品川宿は今の北品川から青物横丁一帯らしく、交通の主役を鉄道にとられるのを嫌った町の人々が品川宿に駅を作らせなかったのが原因らしい(土地の買収ができなくて海岸沿いに作ったという説もあるが)そういえば中央線でも同じような騒ぎがあった。もともと甲州街道沿いに中央線を走らす計画だったが甲州街道沿の飛脚連や住民の反対で計画が進まず、そうこうしてるうちに鉄道省のえらいさんがキレて地図の上に大久保から立川まで一本の線を引き線路を造ったという逸話がある。その当時の阿佐ヶ谷や荻窪はまさに武蔵野で何も無かったためそんなアバウトな案で線路を引くことができたのだろう。

今度は北品川で降りて鈴ヶ森まで歩いてみよう。


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桃園川緑道ときょうのねこ


今日は天気もいいので事務所のそばにある桃園川緑道を通って中野まで出た。

桃園川緑道というのは桃園川というちいさな川を暗渠にしてその上に作られた道だが、阿佐ヶ谷からの散歩にはちょうどいい感じでなかなか重宝している。そして両脇がいい感じにさびれていて、いまはやりの偽物ビオトープなぞを行政が作っていないのも好感が持てる小道だ。

しばらく歩いていると脇の植え込みにレンゲ草が咲いていた。子どもの頃はあちこちに春になるとレンゲの花が咲いていたものだが、最近はとんと見ない。レンゲの花を見るのはひさしぶりだった。最後に見たのは吉祥寺で6年くらい前だったかな、確か。ともあれ結構感動したので普段は花というものを撮らない自分だが記録として残す事にした。

さらに歩くといつもの猫スポットに出た。ここはいつもノラ猫がたくさんいるお気に入りスポットなのだが、今日は一匹しかいなかった。チチチと呼ぶとめんどくさそうにしながらものっそり近づいてきたので、ひとしきり遊んでやると満足したのか何ももらえなくてがかりしたのか、近づいてきたときと同じようにのそりと去って行った。

このへんで引き返し歩いていると高円寺あたりで小学生が群れている。何かと思ったら子犬を散歩していたおじさんに集まっている。

そして最近できたのだろうか、以前緑道ぞいには一件も店が無かったのだが今日「こもれび」という喫茶店らしき店があるのを見つけた。どうやら普通の民家のリビングを改造したものらしいが自家製パンとかがあるらしい、こんど時間のあるときにでも入ってみよう。

行程1時間程度のショートトリップ、いい感じの気分転換になった。さあこれから色校一本やっつけるかな。



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高円寺とアントニオ猪木道場


以前からウチの事務所の近くにあって、看板だけで入り口も不明なので「誰か熱烈猪木ファンが酔狂で作った看板かな?」と思っていたのだが実はその名の通り本物の猪木道場だったのを今日知った。

アントニオ猪木道場

すごい住宅街のど真ん中で、それも路地を一本入ったところにあるというところがなんとも不思議な感じ。というかいつ通っても静かだし人がいる気配が無いのだが。。


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高円寺と一本桜



天気がいいので阿佐ヶ谷から高円寺までフォクトレンダーvitoB片手に実弾演習へ出かけた。

高円寺といっても駅の高円寺ではなくお寺の高円寺だ。なぜ高円寺かというと高円寺の前に立派な一本桜があり昨日の荒れた天気でそれがどうなったかちょっと気になって見に行ったというわけだ。

この桜かなり立派なのだが、不思議なのは廃屋と一体化しているというところだ(そこがまたいいのだが)。これが路地の奥などの家ならこうやって廃屋として放置されていてもわかるのだが結構大きい通りに面しているから不思議感倍増、ある意味トマソン物件と言って差し支えないと思う。

かなり前から廃屋になっているという記憶があるのだがいっこうに取り壊される気配がない。おかげで年ごとに一体化度合いが上がっていっており、このままだと家を取り壊す=桜を切るということになりそうな気配さえする。

肝心の桜花はといえばほとんど散っていたがその散った感じが廃屋とマッチしてそれはそれで見応えがあった。

ひとしきり周りを猫のように散策したあと一服しようと向かいの高円寺茶房という店に入ろうとしたら、マスターらしき人がオープンテラス脇に生えている(生やしている?)ブルーベリーを摘んでいた。店で出すのだろうか?いかにも高円寺らしいところがなかなか趣き深い、60年代の香りがするが逆に新鮮かも。


まだまだ深いな、高円寺。

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道祖神と地蔵菩薩、そして阿佐ヶ谷までのみち


昨日税務署まで行ったついでに五日市街道まで出た。あと少しで善福寺川まで出るというところでなにやら妖気を感じて脇道に入った。

そこにあったのは住宅街の真ん中に不似合いな巨大なくすのき。そしてその周りがなにやら小高くなっている。

なにかなと思って見ると地蔵が3体、横には杉並教育委員会の作った説明板がある。曰くどうやらここは五日市街道の旧道で左に別れる道は「馬橋みち」といわれるとあった

五日市街道から阿佐ヶ谷方面へ向かった旅人はこのくすのきの下で一休みしたのだろうか。そんなことを考えながら写真を撮った。

馬橋みちということはきっと阿佐ヶ谷(高円寺)の馬橋まで続いているという事に違いないと思い先に進んだ。

どんどん北へ進むとほどなく天祖神社がありその先に大きな地蔵を見てこのみちが旧道だと言う事を確信する。その後青梅街道へ出たがちょっとこのへんでみちの痕跡は怪しくなる。おそらく青梅街道を渡った先の猿田彦神社へつながるのが正解だろう。

古来、辻にある地蔵は行路の安全を願うとともに、行き倒れた旅人の供養のためでもあると聞く。もとより信心など皆無の罰当たりな自分だが、なぜか自然に手を合わせてしまった不思議な魅力のある地蔵だった。


撮影場所(緑の矢印)
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都電荒川線と鬼子母神

今日は天気もいいので鬼子母神方面へ阿佐ヶ谷から自転車で向かった。
ついでに例のルミックスGF-1にカラースコパー25mm(35mm換算で50mm相当)をつけて持ち出した。まずは中野へ向かいさらに北上して妙正寺川へ出る。そこで川沿いに落合まで進む。ちなみに「落合」の名前の由来は神田川とこの妙正寺川が落ち合う合流地点だからだ。今日の自転車はいつものロードではなくミニベロなのでペースが上がらず予定より時間を食ってしまった。

鬼子母神前についた時はすでに日も傾き、F4縛りのカラースコパーじゃなくノクトンにするべきだったかなとちょっと後悔。自転車を停めて表参道を歩く、池袋からほんの一駅とは思えないほど閑静な石畳の道。ほどなくして境内が見える、広くはないがお稲荷さんや駄菓子屋が同居する長閑な感じがいい。駄菓子屋に集まる子供達をまずは腰だめノーファインダーで撮影。腰だめノーファインダーで撮ったのは子供の目線で撮るためと暗くなってきて手振れしそうなため体にカメラを密着させ腰だめにした。

その後本堂や稲荷鳥居、大銀杏を撮り帰路につく。


広角オールドレンズを付け絞り優先AE設定にしたGF-1はかなりいいフィーリングだった。例えるならさしずめすごく良く写る「写ルンです」と言ったところか(笑)

自分のカメラの一つの理想型は写ルンですなのでこれはこれでアリかな。
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中野富士見町から新宿、そして十二社と熊野神社


今日は野暮用で中野富士見町から新宿まで歩いた。

40分くらいだが途中そこここに残る古道跡を縫いながら歩く。神社とか寺に面している道はだいたいが古道だと思って間違いない。方南通りは熊野神社から杉並の大宮八幡まで向かう古道で、大宮八幡で右に曲がり北へ向かい阿佐ヶ谷にある鎌倉みちの名残であるパールセンター商店街へ続く。

熊野神社から新宿中央公園へ入り新宿南口へ出てサザンテラスのスタバで一服。その後所用をすませ元来た道を帰る。

けっこう疲れた、運動不足を実感反省。

今はもうない十二社温泉、もう一回ぐらい入っておけばよかったかなと思うこのごろ。

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ヒロミゴーとノーファインダー
RICOH R8


セシオン杉並でやっているという某絵画展へ天気もいいのでひさしぶりに実弾演習もかねて出かける。道中フイルムカメラの素振りがわりにコンデジでノーファインダーにて演習開始。最近デジイチで仕事のしすぎかノーファインダーの勘が激しく鈍っているのを実感。撮影のモーションも大きく撮るたび同行の妻に「盗撮!」といわれちょっと困る。

かくてセシオン杉並に到着するも日にちを間違えていた事を知り呆然とする、が、気を取り直し二階の喫茶店「NON NON」で昼飯でも食べる事にした。

「NON NON」のネーミングも昭和だが店でかかってる曲もヒロミゴーメドレーと昭和感全快。初老にリーチのかかっている自分などは店に一体化してしまいそうなほど居心地がよくちょっと怖い。

ここの店は前庭(中庭?)が店の中よりひろく、春先とか夏は昼間この庭でビールでも飲んでしまうと気持ちよくてその後仕事をする気が全くなくなってしまう魔のガーデンだった。
ほぼ10年ぶりにきたのだがその記憶と全く変わっていない状態にある意味感嘆した。半年ももたてば型遅れになってしまう昨今のかめら業界からすると畏敬の念さえ感じずにはいられない。いやこれは何かのアンチテーゼなのかと自問自答するも「ホワイトカレーがある!」という妻の声にわれに還る。

いまどきホワイトカレーがある事にも感心し自分はと言えばカキフライ定食をたのむ。

味はけっこう好み。

その後店をでて家の水槽内生物が全滅しているのを思い出し中杉通りのコジマまで行く事にする。期せずして阿佐ヶ谷横断演習になる。

高円寺経由で向かい高円寺駅で妻と別れる、ここから先はマイサンと同行二人。妻の突っ込みが無くなるのでより徘徊中年としてのつとめを果たす事ができると考えるが最近マイサンにもちえがついてきたので、あまり変な事をすると父親の沽券に関わるかもしれない、などと考えるがそんなものはじめから存在していない事にきづき西部戦線へ進行。

綿密な路上観察(遠回りともいう)を行いつつコジマに近づくもさらに詳細な現状確認(道に迷ったともいう)を繰り返しコジマ到着。いきなりのるうえーじゃんふぉれすときゃっとなどという生物の攻撃を受け、あまりのかわいさに意識を失いそうになる。
倒れそうになる自分を鼓舞し本裏の任務「コアカ」(駄金の別名)を手に入れ帰営する。


以上!本日の演習報告であります。



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荒玉水道その2_終点、大谷口配水塔
iphone5

前回の記事『野方配水塔と怪人20面相』の続き

前回多摩川の砧から始まる荒玉水道という上水道をたどり、中野にある中継地点の野方配水塔までいった話を書いたが今回はその終点、東京都板橋区大谷口にある大谷口配水塔(現大谷口給水所)まで行ってみた。

そこは哲学堂公園の幽玄な気が漂う野方配水塔とはうって変わって明るい中野通りの先に忽然と現れた。2005年に一度取り壊され、現在のものは再整備されたものなので形は似せていても雰囲気のかけらも無いのはご愛敬。
以下Wikiより転載

大谷口配水塔(おおやぐちはいすいとう)は、東京都板橋区大谷口にある荒玉水道の大谷口給水場(のちに大谷口給水所に改称)に作られた配水塔である。

ドイツで衛生工学を学び、近代水道の礎を築いた中島鋭治博士による設計。高さ約33mの鉄筋コンクリート造の円筒の上に大小二つのドームが載る意匠を特徴とする。1931年に完成し、配水塔としては1972年7月31日まで使用された。完成当時の周辺は畑田圃が多く、近隣上板橋村各戸への給水ではなく王子・滝野川方面の製紙工場への給水が主であった。

当時の技術上の問題から自然流下による給水方法をとらざるを得なかったため、建設にあたっては高台の敷地が選ばれた。そのため使用停止後も中野通り沿いの地元では良く目立ち、「大谷口水道タンク」として板橋区の景観百選に選定されるなど、地域のランドマークとして親しまれてきた。しかし、老朽化のため2005年6月に取り壊された。

なお、跡地は給水所として再整備され、2011年3月に配水塔の意匠を継承するデザインのポンプ棟が完成した。

中島の設計による配水塔は野方配水塔もあり、千葉県松戸市の栗山浄水場にもよく似たデザインの配水塔がある。



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